式内 須佐神社
Contents
概 要
社 号 須佐神社
式内社 出雲国飯石郡 湏佐神社
読み:古 スサ、現 すさ
別名:須佐大宮
江戸時代は「十三所大明神」「須佐大宮」と称していた
所在地 島根県出雲市佐田町須佐730
旧地名 出雲国飯石郡
御祭神 須佐之男命(すさのをのみこと)
配祀
稲田比売命(いなたひめのみこと)
足摩槌命(あしなづちのみこと)
手摩槌命(てなづちのみこと)(須佐家の祖神)
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国:大2座・小185座
飯石郡[イヒシ(イヒス)]:5座(並小)
出雲国風土記「須佐社」
近代社格制度 旧国幣小社
社格制度廃止後 別表神社
出雲国神仏霊場十八番(20社寺)
創建 天平5年(733)『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されているのでそれ以前
本殿様式 大社造
境内摂末社(祭神)
境内末社
天照社(「上社」) 天照大神 「上の御前さん」。神社の前の道路を挟んで向かい側にある。中世には伊勢宮と呼ばれた。
三穂社(「下社」) 三穂津比売命(みほつひめのみこと)、事代主命 「下の御前さん」
東末社・西末社
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いきつひこねのみこと)、熊野樟日命(くまのくすびのみこと)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)
稲荷社 稲倉魂命(うかのみたまのみこと)
隋神門 豊磐間戸神、櫛磐間戸神
境外摂社
厳島神社(「洗度社」、又は「祓戸社」と称す) 市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命
須賀神社(「才神楽さん」と称す) 素戔鳴尊
例祭日 4月18日
主な神事 念仏踊り
文化財
尼子民部少輔晴久奉納の「兵庫鎖の太刀」 国重要文化財
本殿 島根県重要文化財
念仏踊り 県無形民俗文化財
大杉
本殿の背後に聳える。53代淳和天皇の天長年間(西暦824~833)に、現社地に遷されたと伝うから、樹齢は約千三百年を算えると推定され、幹周り6メートルの大きさがある。後述の江原啓之の神社紀行が発刊されて以降、この杉の樹皮を剥がして持ち帰る不心得者が多数現れた為、現在は幹の周辺に柵がめぐらされている。
一口メモ
出雲市内の数ある有名古社の中でも、出雲大社、日御碕神社とともに最も訪れてみたかった神社である。出雲の神といえば大国主とスサノオ。そのスサノオ本貫地とされる神社。島根県中部を南北に流れる神戸川の支流、須佐川のほとりに鎮座。素盞嗚命(須佐之男命)を祀る神社は出雲をはじめ、京都祗園社(八坂神社)等、数多いがその本宮とされ唯一須佐之男命の御魂を祀る神社である。3月9日に参拝したが日没となってリベンジ。
テレビや雑誌などで日本一のパワースポットと紹介され、にわかに注目を集め、遠方から訪れる人が多い。佐田町は出雲市と合併されたが、かつては飯石郡になり奥出雲である。国道184号線は乙立町で山寄りの旧道が上り専用(佐田町方面)、川沿いが下り専用となっていて面白い。道路拡張が難しいかったのだろう。
歴史・由緒等
御由緒
出雲国風土記に見える須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮めの霊地、又御名代としての霊跡地であり、大神奉祀の神社中 殊に深い縁を有する。須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という。出雲の大宮と称え、農耕、殖産、興業、延壽の神として尊崇深厚あり、朝廷をはじめ累代国守、藩主、武将の崇敬は申すに及ばず、世人の尊敬あつく、社殿の造営は、武将、藩主によって行うのを例としてきた。明治五年郷社に、同六年県社に、同三十二年国幣小社に列せられ、第二次大戦の終戦後は別表神社として今日に至り、世人の尊宗あつい。
-『神社公式サイト』より-
旧社地は神社の北方、宮内部落の東南にある宮尾山山麓にあったとされる。五十三代淳和天皇の天長年間(西暦824~833)に、現在地へに遷されたと伝えられる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。
現存の本殿は天文23年(1554年)の戦国武将の尼子晴久の時代に造営とされる。それ以前のものは、元応2年(1320年)の書と伝えられる大宮古図では、方4間と記載されている。
神社公式サイトには「古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という。」とあるが、いろいろな史料では、奈良時代は「須佐社」、平安時代は「須佐神社」、中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世(江戸時代)には「須佐大宮」と称したようだ。明治4年(1871年)に延喜式に記載される「須佐神社」に改称し、明治5年(1872年)に郷社に列格し、翌明治6年(1873年)に県社に、明治33年(1900年)に国幣小社に昇格した。
境内には、樹齢1200年以上という大杉がそびえ、須佐の七不思議に数えられる「塩井」が湧出。
周辺の地には、神社とゆかりの深い伝説が数多く残されており、なかでも「須佐神社七不思議」は、この地がスピリチュアルな空間であることを証明するかのような伝説として、今も語り継がれている。
「中海・宍道湖・大山圏域観光連携事業推進協議会」
境内・社叢
鳥居・社頭 社号標
手水 随神門 祭神 豊磐間戸神・櫛磐間戸神
拝殿 幣殿・本殿
本殿
樹齢1200年以上という大杉と本殿
大社造は方二間で中央に真柱があるため入口が右方に偏っている。一間で入口が中央にあるものを「大社造変態」という。出雲の神社は大社造が主流だが、「大社造変態」が多く、入口が右方に偏っている大社造のご本殿は出雲大社、須佐神社や松江市の神魂神社など数が少ない。
大社造、方二間(四米余)、高さ七間(十二米余)
大社造とは、四方の柱の間に一本ずつの柱がある。即ち方二間で中央に真柱がある。中央と右中間の柱との間を壁でとじ、その奥を神座とする。向かって右方一間を入口とし階(きざはし)をつくる。この入口が右方に偏っていることは、他の神社や仏寺には全く例のないことで、神社と住宅が分離しない原始の建築を伝えている。屋根は切妻栩葺(きりつまとちぶき)で妻の方に入口がある。出雲大社と共に典型的な大社造りの建造物で島根県重要文化財として指定されている。(指定 昭和四十一年五月三十一日)『神社公式サイト』
拝殿前東西 西末社 東末社
神馬舎 本殿右手 稲荷社
本殿奥 三穂社(「下社」) 三穂津比売命(みほつひめのみこと)、事代主命 「下の御前さん」
神楽殿 塩(の)井
修復以前の本殿大屋根飾り
地名・地誌
須佐(すさ)
『出雲国風土記』の須佐郷の条には、須佐之男命が当地に来て最後の開拓をし、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されています。
地 図
交通アクセス
周辺情報
ホームページ
参 考
「神社公式サイト」、「延喜式神社の調査」さん
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